誰も得しない日本史

誰も得しません

太宰治の現実 ー斑鳩5・レトロゲーマーが思い出す日本史ー

これまでの斑鳩シリーズ
 
鳳来ノ国へと続く要塞渓谷で、鶉(ウズラ・ステージ3ボス)を撃破した斑鳩。
斑鳩は鳳来ノ国へと突入して、巨大要塞型(花型?)の仏鉄塊、鶚(ミサゴ)と対峙する。
鶚の猛攻は圧倒的で、敵弾の属性も入り乱れており、プレイヤーは「斑鳩以外ではぜったい使わないだろッ!」って言いたくなる、脳の部位をフル稼働させられることになる。
そして、「斑鳩以外ではぜったい役に立たないだろッ!」って叫びたくなる、謎の能力を覚醒させることができなければ、ここより先に進むことはできない。
 
 
巨大な鶚に斑鳩が近接しようとするときに、ナレーションが入る。
 
And "Reality" is unveiled.
What did it want...
What did it see...
What did it hear...
What did it think...
What did it do...
そして、現実はその姿を現す。
何を求め・・・・・・・・・・
何を見て・・・・・・・・・・
何を聞き・・・・・・・・・・
何を思い・・・・・・・・・・
何をしたのか・・・・・・・・
 
私は、この英訳が非常に以外でした。
それというのは、日本語版のナレーションを見たときは、「プレイヤー(ナレーション側からすれば「おまえ(you)」がこれまでに求め、見て、聞いて、思って、やってきたことの結果が、現実としてプレイヤーの目の前に姿をあらわす」という意味だと解釈していたからです。
よく考え、がんばった人間の目の前には、その結果が現実として現れる。それに対して、考えず、何もしなかった人間には、その結果としての現実が現れるのだと。そして、、、
つまり、日本語を補うと、
 
そして、現実はその姿を現す。
おまえが何を求め・・・・・・・・・・
おまえが何を見て・・・・・・・・・・
おまえが何を聞き・・・・・・・・・・
おまえが何を思い・・・・・・・・・・
おまえが何をしたのか・・・・・・・・
 
と、ナレーションは言っているんだと思っていました。
斑鳩というゲーム内だと、ゲームの主人公である森羅が、反乱を起こして戦った結果が、ラスボス終了後に起こりますよね。それが「現実」だと思っていたんです。
 
 
ところが、英訳をみてみると、なんと"What did you want"ではなくて、"What did it want"なんです。ここでの"it"という代名詞は、直前の"Reality"、すなわち「現実」を指すと考えるしかありません。
すると、4面のナレーションは、
 
そして、現実はその姿を現す。
現実が何を求め・・・・・・・・・・
現実が何を見て・・・・・・・・・・
現実が何を聞き・・・・・・・・・・
現実が何を思い・・・・・・・・・・
現実が何をしたのか・・・・・・・・
 
となるはずです。
こうなると、私ではぜんぜん意味がとれません。
4面のナレーションがいう、求めたり、見たり、聞いたり、思ったり、行ったりする「現実」とは、何を指すのでしょうか。
もしかしたら、ゲーム内のストーリーでは、数年前に掘り起こされたという「産土神黄輝ノ塊(ウブスナガミ オウキノカイ)」(ラスボス)のことを指すのでしょうか。
それとも、4面ボスの鶚を指すのでしょうか。
 
……やっぱり、釈然としないですね。誰か、斑鳩のストーリーとか英語に詳しいかたは、4面のナレーションの意味について教えていただけると嬉しいです。
ちなみに、「月刊アルカディア2001年7月号特集記事&2002年2月号掲載設定資料、5月号特集記事、ドリームキャスト専用GD-ROM『斑鳩』より転載及び一部加筆」したという、http://rssp.web.fc2.com/ikaruga_story.htmlを読む限りは、やっぱり「現実」とはラスボス終了後の展開のことのようです。英語版が誤訳なんでしょうか。それとも、私の、代名詞"it"の使用法に対する文法的理解が間違っているのでしょうか。
 
 
最後に、東大中退で、小説で一発当てたけどヤク中で愛人と心中した太宰治大先生のお言葉をお借りして、
未来をになう若者に、斑鳩をプレイすることの大事さをお伝えして、終わりたいと思います。
 
太宰治「正義と微笑」
勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!
 
斗玲邪「ゲーマー失格」
斑鳩というものは、いいものだ。斑鳩のプレイが、ゲーセンから出てしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。烏帽子鳥でも、仏法僧でも、鶉でも鶚でも、田鳧でも、時間のゆるす限り斑鳩して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような斑鳩こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分のスコアを誇る必要はない。斑鳩して、それから、けろりと捨てゲーしてもいいんだ。クリアするということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、全一やダブルプレイを極めている事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に斑鳩をプレイしなかった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。パターンなんて、クリアすると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その属性チェンジの訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。斑鳩しなければいかん。そうして、そのスコアを、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!
 
 
愛人と心中するという「現実」で、その人生を終わらせた太宰治は、
何を求め・・・・・・・・・・
何を見て・・・・・・・・・・
何を聞き・・・・・・・・・・
何を思い・・・・・・・・・・
何をしたでしょうのか・・・・
 
 
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