誰も得しない日本史

誰も得しません

総理大臣列伝 加藤高明

【加藤高明の名言】
 
なすはなさざるに優る
 
 
1925年、加藤高明内閣でいわゆる普通選挙法成立。しかし、、、
Hey boys! You should apologize to girls for regecting a bill of women's suggrage.

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日本語訳
ちょっと男子ぃ~、謝りなよぉ~! 男子のせいで女性参政権法案が通らなかったじゃん!
 
そういえば、あの小学校の学級会特有の女子の口調は全国共通なんでしょうか。そして、今もあの口調は受け継がれているのでしょうか。
のぶたボーイも、よく学級会で吊るし上げられていました。
 
 
 
加藤高明内閣は1925年に男子普通選挙法を通しますが、日本で女性の参政権が認められたのは戦後になってからのこと。1925年段階で女性参政権があった国はアメリカとドイツくらいでした。フランスでも第二次世界大戦後までもつれこむし、スイスではなんと1971年(以降)!
 
 
加藤高明内閣は1924年6月11日に発足しました。
1924年は大正13年なので、分かってる人なら、あと16年後の「太正二十九年」には新たなる帝国華撃団が結成されるんだなあ、と思うはずです。
 
 
加藤高明は1860年1月3日に、尾張藩(現愛知県)で生まれました。
大正デモクラシーとかの時代の人ですが、まだ江戸時代生まれなんですね。総理に就任したときは64歳でした。
 
 
加藤高明は、三菱ととても仲がおよろしいです。
 
東大法学部を首席で卒業した加藤は、三菱に入社して、なんと25歳で三菱本社副支配人になりました。
その翌年、加藤は三菱の創始者である岩崎弥太郎の娘と結婚しました(弥太郎は前年に死去)。
尾張藩の下級藩士の生まれである加藤からみれば、ものすごい逆玉です。
三菱視点で見れば、新入社員の中から総理大臣クラスの器をもつ人間を瞬時に見切ったということです。
加藤もすごけりゃ、三菱もすごい!
こうして三菱とガッチリタッグを組んだ加藤高明は、「三菱の大番頭」と呼ばれるようになりました。
 
総理大臣となった加藤高明は、男子普通選挙法を出すなどしましたが、
肺炎で体調をひどく崩していたにもかかわらず、国会に出席したため、さらに容態が悪化して、66歳で急逝してしましました。1926年1月28日のことでした。
 
 
【参考文献等】
 

来世使える! クソみたいな英文

加藤高明 - Wikipedia

 

 

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