誰も得しない日本史

誰も得しません

教科書改訂と入試のトレンド 第4回

以下、2018年4月14日記事(引っ越し分)

 

シリーズのコンセプトは、第1回をご参照ください。

www.daremotokushinai.com

 

今回は、教科書の第2章の第3節、
「平城京の時代」です。

【主な変更箇所】
1. 「民間商人たちの往来」から「外交とは別に民間商人たちの往来」に。
2. 平城宮の図が巻頭から本文へ。
3. 平城宮や長屋王邸跡の発掘に関する記述が、脚注から本文へ。
4. 「平城京と地方社会」という項に含まれていた「地方官衙と「辺境」」が、項として独立。
5. 「都を中心に七道の諸地域へのびる官道(駅路)が整備され」から「都をかこむ畿内を中心に東海道など七道の諸国府へのびる官道(駅路)が整備され」に。
6. 「地方の国府には、政務・儀礼をおこなう政庁(国衙)」から「都から派遣された国司が地方を統治する拠点である国府(国衙)」に。
7. 伝路に対する脚注が、「各地で、一定の道幅(6~12メートル)をもって直線的にのびる古代の官道の遺跡が発見されている。」から「東海・東山・北陸・山陰・山陽・南海・西海の七道の駅路が推定される各地では一定規格の道幅(12・9・6m)で、側溝をもって平地部を直線的にのびる古代の官道の遺跡が発見されている。
8. 「各郡の支配拠点としての郡家も、国府に似た施設を持って郡内における中心となった。」から「各郡の郡司の統治拠点である郡家(郡衙)も、国府と同様に郡庁・役所群・郡司の居館・倉庫群などの施設をもち、近くに郡司の氏寺も営まれるなど郡内における中心となった。任期のある国司と違って伝統的な地方豪族が終身制で任命された郡司により、実際の民衆支配が展開したと思われる。」に。
9. 「郡家の遺跡の発掘調査では、郡司が郡内の里長などに命令を伝える内容の木簡もみつかり、律令の文書主義にもとづく郡内の行政の実情が知られている。」という脚注が本文になり、「郡家の遺跡からも木簡・墨書土器などの文字資料が出土し、律令制の文書主義にもとづき漢字文化が地方にも展開した様子が知られる。」に。
10. 木簡に関するコラムを追加(改訂前は巻頭特集「資料にふれる」で木簡に触れていた)。
11. 「鉱物資源の採掘もおこなわれた」から「鉱物資源の採掘も国家主導でおこなわれた」に。
12. 「国家体制が実現し」から「律令にもとづく国家体制が実現し」に。
13. 「日本海側には出羽国がおかれ」から「日本海側には712(和銅5)年に出羽国がおかれ」に。
14. 「太平洋側には陸奥国府となる多賀城がきずかれて」から「太平洋側には7世紀後期の城柵に続けて陸奥国符となる多賀城が築かれて」に。
15. 「南九州の隼人とよばれた人びとの地域には大隅国がおかれ、種子島・屋久島をはじめ薩南諸島の島々も政府と交易する関係に入った。」から「南九州の隼人と呼ばれた人びとの地域には、抵抗を制圧して8世紀初めに薩摩国ついで大隅国がおかれ、種子島・屋久島も行政区画化されるなど南西諸島の島々も政府に赤木などの産物を貢進する関係に入った。」に。
16. 「流行した天然痘」から「737(天平9)年に流行した天然痘」に。
17. 「太政大臣」から「大師(太政大臣)」に。
18. 東大寺領糞置荘開田図と条里制図の追加。

目立つ変更箇所は、リストの3です。
古代に限らず、辺境(境界)に注目するというのは、ここ20~30年の学界のトレンドなので、古代なら対南方政策・対蝦夷政策は整理しておく必要があります。東北と南九州での領域拡大の進展の違いに気をつけておきましょう。
次に、リストの8や9に顕著なように、都と地方とを結ぶ交通制度や地方社会の産業開発、そして地方行政の拠点である国府や郡衙といった地方官衙の様相もイメージできるようになれば、なお良いです。地方官衙などの実態は『日本書紀』などの文献史料からはほとんど分からなかったので、発掘調査が進むにつれ、今後も徐々に記述があつくなっていくことでしょう。
リスト7にある古代官道の調査も、だいたいいつも全国のどこかで行われています。調査が終了すると埋め戻すことが多いので、現地説明会にでも行かない限り、実際に見る機会は少ないのですが。
 
 
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