誰も得しない日本史

誰も得しません

教科書改訂と入試のトレンド 第6回

以下、2018年年5月2日記事(引っ越し分)

 

シリーズのコンセプトは、第1回をご参照ください。

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本務多忙のため、当面は変更箇所の紹介のみで継続していきたいと思います。
重要な変更点には、下線を付しておきます。

今回は、教科書の第2章の第5節、
「平安の王朝の形成」です。

【主な変更点】
1. 節の題が「平安朝廷の形成」から「平安王朝の形成」に
2. 項の題が「平安京の確立と蝦夷との戦いから「平安遷都と蝦夷との戦い」に。
3. 「光仁天皇と渡来系氏族の血を引く高野新笠とのあいだに生まれた桓武天皇が即位した」から「781(天応元)年に亡くなる直前、天皇と渡来系氏族の血を引く高野新笠とのあいだに生まれた桓武天皇が即位した」に。
4. <ins>「仏教政治の弊害を断ち」から「仏教政治の弊害を改め」に。</ins>
5. 「皇太子の早良親王」から「首謀者とされた皇太子の早良親王」に。
6. 早良親王の事件に関する脚注が、「桓武天皇の母や皇后があいついで死去するなどの不幸が、早良親王の怨霊によるものとされるなか、長岡京はなかなか完成しなかった。」から、「早良親王は自ら食を絶って死に、その後、桓武天皇の母や皇后があいついで死去するなどの不幸が早良親王の怨霊によるものとされた。そのほか、長岡京がなかなか完成しなかったことも、平安遷都の理由とされている。」
7. 「東北地方では、奈良時代にも北上川や日本海沿いを北上して城柵が設けられていった。」から、「東北地方では、奈良時代にも陸奥川では多賀城を基点として北上川や日本海沿いを北上して城柵が設け、出羽側では秋田城を拠点に日本海沿いに勢力を北上させていった。」に。
8. 「桓武天皇は緒嗣の議を採用した」から「桓武天皇は緒嗣の議を採用し、蝦夷との戦争と平安京造営とを停止した」に。
9. 「兵士の質が低下」から「一般民衆から徴発する兵士の質が低下」に。
10. 「さまざまな手段で負担を逃れようとした」から「浮浪・逃亡などさまざまな手段で負担を逃れようとした」に。
11. 「男子の登録を少なくする偽りの記載(偽籍)」から「成人男性ではなく女性の登録を増やす偽りの記載(偽籍)」に。
12. 「中央の国家財政の維持が困難になると」から「調・庸などの未進によって中央の国家財政の維持が困難になると」に。
13. 「文学に長じた貴族を政治に登用」から「文学・学問に長じた文人貴族を政治に登用」に。
14. 漢詩文の段落の最後に「菅原道真も『菅家文草』を著した。」と追加。
15. 「地方の有力者たちも保護を求めてやはり院宮王臣家の勢力下に入っていった。」から「地方の有力者たちも国司に対抗して保護を求めてやはり院宮王臣家の勢力下に入っていった。」に。
16. 「桓武天皇は、……最澄らの新しい仏教を支持した」から「桓武天皇や嵯峨天皇は最澄・空海らの新しい仏教を支持した」に。
17. 「最澄は比叡山で修学し」から「最澄は、近江出身で近江国分寺や比叡山で修学し」に。
18. 「比叡山延暦寺はやがて仏教教学の中心となっていった」から「比叡山延暦寺はやがて仏教教学の中心となっていくとともに、平安京の王城鎮護の寺院とされた」に。
19. 「空海は、儒教・仏教・道教のなかで」から「空海は、讃岐出身で上京して大学などに学び、儒教・仏教・道教のなかで」に。
20. 「高野山」から「紀伊の高野山」に。
21. 「教王護国寺(東寺)も密教の根本道場となった」から「教王護国寺(東寺)も、都にあって密教の根本道場となった」に。
22. 「皇室や貴族」から「皇族や貴族」に。
23. <ins>円仁に関わる脚注に「円仁が838(承和5)年に渡唐し、密教を学び847(承和14)年に帰国するまでの苦労の記録が「入唐求法巡礼行記」である。」と追加。</ins>
24. 教王護国寺両界曼荼羅・観心寺如意輪観音像・室生寺弥勒堂釈迦如来坐像・風信帖が、口絵から本文の挿絵に変わり、それぞれに詳細な解説がついた。
25. 「曼荼羅」から「密教の世界観を表した曼荼羅」に。
26. 2ページにわたるコラム、「歴史の追求1 法制の変化と社会」を削除。

以上です。

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