誰も得しない日本史

誰も得しません

教科書改訂と入試のトレンド 第7回

以下記事(引っ越し分)

※201910月現在、第7回で止まったままです。なかなか再開のメドがたちません。申し訳ございません。

 

シリーズのコンセプトは、第1回をご参照ください。

www.daremotokushinai.com

 


重要な変更点には、下線を付しておきます。

今回は、教科書の第2章の第5節、
「平安の王朝の形成」です。

【主な変更点】
1. 9世紀の初めには、桓武天皇や嵯峨天皇が」から「9世紀の半ばまでは、桓武天皇や嵯「峨天皇が」に。
2. 「清和天皇が即位すると、良房は」から「清和天皇を即位させた良房は」に。
3. 「臣下ではじめて摂政の任をつとめ」から「臣下ではじめて摂政になり」に。
4. 「良房のあとを継いだ太政大臣藤原基経に支持されて即位した光孝天皇は、884(元慶8)年に基経をはじめて関白とした」から「良房の地位を継いだ藤原基経は、陽成天皇を譲位させて光孝天皇を即位させ、天皇はこれに報いるために、884(元慶8)年に基経をはじめて関白とした」に。
5. 応天門に関する脚注が「良房が正式に摂政の命を受けたのは、大納言伴善男が朝堂院の正門である応天門に放火し、その罪を左大臣源信に負わせようとして発覚し、流罪に処せられた応天門の変の時である。しかし清和天皇は9歳で即位したため、実際は即位のはじめから天皇の外祖父で太政大臣であった良房が、摂政の任をはたしたと思われる。」から、「大納言伴善男が応天門に放火し、その罪を左大臣源信に負わせようとしたが発覚して、流罪に処せられたという事件。」に。
6. 阿衡の紛議の脚注に「関白とは、天皇と太政官とのあいだの文書などのやりとりすべてに「関り白す」(関与する)という意味で、これが地位の呼び名になった。」と追加。
7. 菅原道真左遷に関する脚注が、「901(延喜元)年、左大臣藤原時平は道真が女婿の斉世親王を即位させようとしていると訴えた。このため、道真は右大臣から大宰権帥に左遷され、そこで死去した。この道真の怨霊の祟りを恐れて祀られた京都の北野天神は、のちに学問の神としてあがめられた。」から「901(延喜元)年、右大臣の道真は大宰権帥に左遷され、任地で死去した。死後、道真は怨霊として恐れられるようになり、これを鎮めるために、京都には北野天満宮(北野神社)が、道真の墓所には太宰府天満宮がつくられた。のちに天神(菅原道真)は学問の神として広く信仰されるようになった。」に。
8. 醍醐天皇・村上天皇の事績の説明が、脚注から本文に。
9. 村上天皇の事績に「その死去の直後には『延喜式』が施行された」と追加。
10. 「左大臣の源高明」から「醍醐天皇の子で左大臣の源高明」に。
11. 「氏長者」に「藤原氏の氏長者は、氏寺の興福寺や氏社の春日社、大学別曹の勧学院などを管理し、任官や叙位の際には、氏に属する人びとの推薦件ももっていた。」という脚注が付された。
12. 太政官政治に関する脚注が本文へ。
13. 「陣定で、公卿各自の意見が求められた」から「陣定という会議で、公卿各自の意見が求められ、天皇の決済の参考にされた」に。
14. 年中行事についての説明が、国風文化の節に移動。
15. 「中・下級の貴族たちは、摂関家などにとり入り、経済的に有利な地位となっていた国司になることを求めた」から「中・下級の貴族たちは、摂関家などにとり入ってその家の事務を扱う職員である家司となり、経済的に有利な地位となっていた国司(受領)になることを求めた」に。
16. 「その反面、地方の政治は国司にゆだねられ、朝廷が国政に関して積極的な施策をおこなうことはほとんどみられなくなった。」という一文が削除。
17. 「広がる国際関係」というコラムがなくなり、その内容は数箇所の本文や脚注に分かれた。
以上です。
 
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