誰も得しない日本史

誰も得しません

織田信長あれこれ パート1

 
織田信長は、1963年の大河ドラマ初放映から、2016年までの第55回大河ドラマまで、合計14回も本能寺で殺されました。
昔から、信長の性格を表現した、有名なアイカツ格言があります。
 
 
《英訳してみよう》
 
鳴かぬなら
コトコト煮込め
 
 
 
《英語訳》
 
If it doesn't call
stew carefully until done
gray-headed cuckoo
 
短気なんだか、気長なんだかよく分かりません。英文を参考にした『来世使える! クソみたいな英文』(カンゼン社)の筆者のコウノスケ氏に、小一時間問いただしたいところです。
もちろん、ホントは「鳴かぬなら□してしまえホトトギス」です。
 
 
信長の官職で有名なのは、上総介でしょうか。いわゆる、「織田上総介信長(おだ かずさのすけ のぶなが)」です。「介」というのは奈良時代の制度のなごりで、地方官である国司のナンバー2のことです。奈良時代の役人は四等官といって、「かみ・すけ・じょう・さかん」で構成されていました。国司の場合は、長官である「かみ」には「」の漢字を使って、次官である「すけ」には「」の漢字を用いたのです。
 

じゃあ、なぜ信長は国司のトップである「守」を名乗らなかったのか。それは、上総国親王任国といわれる国だったからです。古代において、上総国常陸国などは、親王が名目的に国守に任じられることになっていました。こうして、その国の税で親王を養うんです。こうした国を親王任国といったんです。そういう事情があったので、古代において、上総国などに実際に行って現場で政治を指揮するのは、名目上はナンバー2の「介」だったんです。この名残が中世の末期まで残っていて、上総は親王任国だから守になれないから、織田信長は上総介なんです。ちなみに、平安時代更級日記の作者の菅原孝標女のお父さんである、菅原孝標も上総介でした。菅原孝標女は自分のことを「東路の道のはてよりも、なほ奧つかたに生いいでたる人」と言ってますね。

 
信長の実質的なデビュー戦については、過去記事を御覧ください。

nobuta.hateblo.jp

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信長は、デビューして5・6年たったころ、美濃の斎藤龍興を倒して、美濃国を平定します。 そして、織田信長は、稲葉山を岐阜という名に改めました。「ぎふ」って、かなり珍しい地名ですよね。「岐阜」というのは、禅僧など文人の間で用いられていた美濃の雅称(風雅な名称のこと)だったといわれています。
また、このころから「天下布武」の印判をつかい始めました。なんだかかっこいいですね。
 
参考:
中山著『出ない順 中山の日本史C』(飛鳥新社
 コウノスケ 『来世使える! クソみたいな英文』(カンゼン社)
(Kindleunlimited版)
 
 
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「1分日本史」とかもやってます。