誰も得しない日本史

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黒田清隆  ー総理大臣列伝ー

 

黒田清隆内閣は、1888年4月30日に発足しました。

この日はサンドウィッチマンの富澤たけしさんの誕生日です。そういえば、2019年の4月30日は明仁上皇陛下(当時は天皇)が譲位した日でした。富澤さんの誕生日はみんなにスルーされたんでしょうか。。。お、ありました富澤さんの5月1日のブログによると、ちゃんとお祝いしてもらったみたいです。よかったですね。(2019年05月01日のブログ|サンドウィッチマン 富澤たけしオフィシャルブログ「名前だけでも覚えて帰ってください」Powered by Ameba

 

 

黒田清隆は、1840年に薩摩藩で生まれました。三方領知替えやアヘン戦争の年で、天保の改革のちょい前です。

幕末の1862年に起こった生麦事件のときには、現場にいました。生麦事件とは、薩摩藩士によるイギリス人殺傷事件です。薩摩藩主の父である島津久光が、江戸で文久の改革を提唱して国元に帰る途中、行列に遭遇したイギリス人民間人を従士が無礼討ちにして、1名が即死して3名が負傷した事件です。このとき、黒田は同僚の抜刀をとめたといいます。黒田22歳のときです。

 

その後、薩英戦争(イギリスが要求した生麦事件の賠償を薩摩藩が拒否したため、イギリスがキレて起こった戦争)、禁門の変(京都での地位回復を狙った、長州藩が京都御所付近で起こした戦い)、戊辰戦争(明治政府のあまりの仕打ちに、徳川慶喜がキレて起こした内戦)と戦歴を重ねたあと、黒田は北海道の開発を担当する開拓使の開拓長官に就任します。軍では砲手をやっていたそうです。こいつもガンタンクですね。(リンク・大隈)

※薩英戦争→薩英戦争(予定) ―ワンピースでたどる日本史― - 誰も得しない日本史

 徳川慶喜がキレて起こした内戦→徳川慶喜 ー北斗の日本史- - 誰も得しない日本史

 ガンタンク→総理大臣列伝 大隈重信 - 誰も得しない日本史

 

 

そして、同郷の西郷隆盛が起こした西南戦争を鎮圧したあと、あの開拓使官有物払下事件が起こります。

 

In 1881, the government was going to dispose of its facilities in Hokkaido to a well-known merchant, and the people of the movement of democratic rights criticized the government strongly. The government gave up the disposal. It also issued the edict to set up the Diet in 1890.

(1881年、北海道の施設を政府と結びついの強い商人に払い下げようとする事件が起こり、民権運動派は政府を強く非難しました。政府は、払い下げを中止し、国会開設の勅諭を下し、1890年に国会を開くことを約束しました。)

英文参照:英語対訳で読む日本の歴史 (じっぴコンパクト)

 
 

1881(明治14)年、黒田清隆(薩摩(鹿児島)出身)が、お友だちの五代友厚(薩摩出身)にありえない安値で官有物を譲ろうとしていたことがバレました。いわゆる官有物払下げ事件です。

官有物とは公共の物、国のものですね。国全体を豊かにするために、国民の税金で買ったり、作ったりした工場とか、空港とかです。なんと、日本人みんなで1400万円(今なら5600億円くらい⁉)くらのお金を出し合って作ったものを、黒田清隆は38万円(今なら15億円くらい⁉)とかでお友だちの会社に売ろうとしていたんです。

五代友厚にとったら、フェラーリを38万円で買うようなものです。しかも、五代が実際に買うものは嗜好品ではなく、カネを生み出す施設なわけですから、毎年莫大な開拓使マネーを、今後ずっと五代個人にもたらすことになるわけです。

物価参考:明治時代の1円の価値はどれだけ重いものだったのか? | 明治時代を学ぼう!

 

 それで、当然のことながら、国民はキレます。キレまくって政府を攻撃し始めるわけです。それで政府はどうするのか?  

 

じゃあということで、政府は大隈重信(佐賀(肥前)出身)をクビにしました。

   ・

   ・

   ・

 ????????????

 

ちょっと待て。

大隈?? 肥前????

 

 

薩摩(鹿児島)は????

ワル商人の五代友厚は薩摩出身だよね??

 

 

黒田清隆は??????????

ワルいことしたのは、薩摩出身の黒田清隆だよね??

 

 

おれの聞き間違い?????????

 

 

気をとりなおして、まとめてみましょう。

 

薩摩と薩摩がワルいことしたら、肥前がクビ!!!

黒田清隆がワルいことしたら、大隈重信がクビ!!!!

 

さすが薩摩! おれたちにできない事を平然とやってのけるッ!!

やることがえげつねえ。

 

なお、この辺の事情は、教科書的には「開拓使官有物払下げ事件で、世論の政府攻撃が激しくなった。1881(明治14)年10月、政府は、大隈をこの世論の動きと関係ありとみて罷免し、欽定憲法制定の基本方針を決定し、国会開設の勅諭を出して、1890年に国会を開設すると公約した。この明治十四年の政変によって……」(『詳説日本史』山川出版社)と説明されています。

 

 簡単に言えば、

政府が一丸となって、事件のもみ消しと黒田清隆のフォローに奔走しているなか、大隈重信は政府の参議であるにもかかわらず、政府批判をしたんです。そんで、かねてから大隈重信と違う考えをもっていた伊藤博文は、これ幸いにと理由をつけて大隈重信を政府から追い出したんです。

いつの時代も、、、ですね。

 

さらにいうと、この事件によってさすがに開拓長官を更迭された黒田は、ほとぼりを冷ますために清国に飛んだり、ヨーロッパを漫遊したりします。そして、みんなが事件のことを忘れた1887年、農商務大臣として政界に復帰して、翌年、総理大臣!に就任しました。さらにさらに、その時の外務大臣は大隈重信です。

政治の世界は、ほんとうに複雑怪奇ですね。

 

黒田清隆は、総理を辞めたあとは、元老となったり、枢密院議長となったりしながら、59歳の若さで1900年に亡くなりました。

 

 

あと、黒田清隆は酒豪でも有名なんですが、『池上彰と学ぶ日本の総理 第15巻 黒田清隆・松方正義』によると、「黒田清隆は腕力が強く、常にピストルを腰に付けていて、酔って気に入らないことがあれば、喧嘩をしかけた」そうです。ムキムキマッチョでケンカっ早く、トリガーハッピーで酔っ払いとか、絶対に近づきたくないタイプですね。実際に、最初妻が肺を患って亡くなったときには、酔っ払った黒田が殺したというウワサが流れたほどです。

 

 

おまけ

 

【黒田清隆内閣期の事件(1888.04.30 - 1889.10.25)】

 

1888

1889 

Constitution of the Empire of Japan(Meiji Constitution) promulgated.

 (大日本帝国憲法(明治憲法)発布)

Imperial Household Law enacted.

 (皇室典範制定)

 

参考文献等:

池上彰と学ぶ日本の総理 第15号 黒田清隆/松方正義 (小学館ウィークリーブック)

バイリンガル日本史年表 (講談社バイリンガル・ブックス)

明治時代の1円の価値はどれだけ重いものだったのか? | 明治時代を学ぼう!

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